死ぬこと以外かすり傷の境地に達するにはまだまだ遠い

死ぬこと以外かすり傷の境地に達するにはまだまだ遠い

気がつけば日がたっている。やりたいこともたくさんあり、やらなければならないこともたくさんある。しかし時間の制約はそれほどなく、自由であり、時間に余裕があるはずだが、あれこれ気が移っていくうちに時間を消費している。

一ヶ月ほど前?に見たyoutubeの動画にADHDの特徴を説明していたものがあり、ちょっと考えさせられるものがあった。というのもその特徴が自分の行動に近しい部分があったからである。以前からこの障害にはある程度聞き覚えがあり知識があったはずで、そのときは自分とは違う世界のものだなという結論だったが、この動画を見てからは少しずつこの障害を持つ人の行動に自分が当てはまる部分があると気がするようになった。

それが別の原因からのもので偶然その特徴と一致したのか、それとも軽度でいままで気づいてなかっただけなのか、それともその動画の影響でその特徴に意識が行き過ぎてただけなのか(占いの結果に当てはまってる気がするとか、時計の4:44を頻繁に見ている気がするとか)、もし悪く作用するならなにかしらの対処をすべきかもしれないし、そもそも関係ないのかもしれない。

本題

さて、2,3週間ほど前にアウトプットについて触れたが、それに対しての続きというか実践しようとする中で感じたことなどを軽く書いていく。

今は良質な情報や求めていた情報が簡単に手に入るようになって、ますます便利になったと思う。情報はあり過ぎるくらい流れてくるが、一つ一つに対して処理する時間も無く、雑に対処しているかもしれない。それにAIが発達してか、デバイスが発達してか、目にするものもいい意味でも悪い意味でも、わりと自分に適した形で入ってくる。(フィルターバブルについてもいつか触れるかも)

普段のインプット量に対してアウトプットがされていないと自分で思考する習慣を失っているように感じる。(自分がそうなだけかもしれないが)自分が思っている考えをまとめようといろいろメモしたり言語化しようとしていたが、いくつもアイデアなりネタがでてくるが、全然まとまらず、結局自分でも書きたかったことがよくわからなくなっていた。具体から抽象、抽象から具体の作業をする上で不適切な例を出すと抽象の話がしっくりこなくなるし、関連がある具体1,2,3に対して具体1や2から抽象化して具体3の抽象化を混ぜてると反例がでてくるというか行き先がよくわからなくなってくるといった具合だ。それはただ言語化の壁であるだけかもしれないが、ここで思ったことは、納得した外部情報を蓄積はしていってるが消化までには至っていないのかもしれないということだ。それか理解はしているが、他要素との関係がうまくまとまっていないのかもしれない。聞いた話を横流しするだけの操り人形になってしまうのは避けたい。

意識的にはアウトプット優先、完成度は後回しというのを心がけているのだが、いまだに何度も読み返しては直してを繰り返してしまっている。続けていれば慣れていくのだろうか。

ひとつ印象に残ったことメモ。映画とかみて、面白かったなだけではすませない、そこから何が面白かったのか分析して言語化してアウトプットすることが重要。

まとめ

自分の書きたいことを言語化して表現するのは難しい。
時間のかかる作業になるが、習慣付けられれば早くなるのかも。

ではでは

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